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フリーゲームの感想・考察を書き殴ったブログ。基本ネタバレ。 以前のブログ名は形容詞だったので、名詞に変えた。次があるのなら副詞にしたい
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【感想・考察】ひとふた 10月編

ひとふたとは?
 虹猫製作の連載型猟奇ノベル(15禁)。正式名称は『1人殺すのも2人殺すのも同じことだと思うから』。




ここから先は『1人殺すのも2人殺すのも同じことだと思うから』10月編のネタバレをしています。
ゲームをプレイしていない方は閲覧禁止です。






 「放心」の一言に尽きます。
 陽と神無死んだ時点でそこそこ精神的ダメージ来ていましたが、そこにあんなにもしぶとかった施設長があっさりと死んでいて本当に驚いた。そこでもう頭が追いつかなくなっていて、猫と弥鈴ちゃんの戦闘を眺めていたら小春が死んでしまって、もう何も動けない。そこで完全にブラックアウトしました。ひとふたで言うなら、ブラックロックですかね。
とにかく、もはや放心する他ない。
 今も放心状態が続いているのですが、順を追ってそこそこにまともな感想を書こうと思います。

 小春と春待が幸せであればあるほど、小春は「親としてやっていけるのか」、春待は「私が幸せになっても良いのか」、二人共不安や悩みを抱いていました。プレイヤーである私も不安を抱いていて、それは「いつか、何らかの形でこの二人の関係が壊れてしまうのではないか」でした。
 病院で爆発が起きたとき、その不安も爆発しました。
ひとふたはプレイヤーがして欲しくない展開を繰り広げてしまうゲームです。言い換えれば、「悪い予感が当たるゲーム」というわけです。私が抱いていたその不安が遂に的中してしまうのではと思ったのです。

 その後、小春が春待を置いて行ってしまいます。
 ここで春待が「待って」「行かないで」と思いながら、膝をついたシーンでまさか小春がどこかに行ってしまったら、春待のお腹の中の子供が死んでしまうのではないかと直感的に思いました。春待自身も死んでしまうのではないか、とすら思いました。
 ここからは私の考察なのですが、ここで春待が言った「待って」にはどんな、そしてどれだけの意味が含まれていたのかなと。単に「赤ちゃんが産まれそうだから待って」なのか、それに加えて「嫌な予感がするから待って」なのか。
 春待ならば、後者であると思いますが。

 小春が陽と神無に対峙しているシーン。
 作中から台詞を抜粋してきました。本来ならばゲームをプレイしながら、この感想を読んで欲しいのですが……。
(ゲームから抜粋)
【こはる】「良かったです」
【よう「?」
【よう】「なにが?」
【こはる】「あなた達が今日この時に襲ってきてくれて」
(中略)
【よう】「初めてやな、こはるのそんな顔」
 これだけ小春の立ち絵が見たいと思ったことも無いだろうと思う。どんな顔をしていたのだろう。
 特に中略前の小春が笑っていたのか、それとも「そんな顔」をしていたのかが気になって。

 そして戦闘民族な猫さんの登場。
 猫と弥鈴はかなり共通点があって面白いので列挙してみます。

  1. 狂気が入ると目が赤色になる(弥鈴は光が映らないどす黒い赤色。猫は光が映った爛々とした明るい赤色。)
  2. 10月31日を「祭り」と称した
  3. レベル10
  4. 殺人にためらいがない(ただし弥鈴は快楽殺人?のためであり、猫は戦闘民族のため)
  5. 能力は脳波
 列挙したからといって何かあるわけではありませんが、①についてはほかのキャラとも比べてみたいですね。草津なんかは狂気が入ると目が黄色になりましたし。

 弥鈴が小春を庇って戦うシーン。
 春待の子ども、つまりは姪が気になっていたのもあるでしょうが、小春が好きだったのもあるのだろうな、と。
 最期は助けなかったものの、戦闘中にかつての五月(5月編)のように身代わりにすることは無かったので、やはりそこそこには好きだったんでしょう。
 しかし小春が「この人達に言葉は届かないんだ」と思った通り、弥鈴を含めた彼女らに言葉は届かないわけです。彼女らにはサイコパスに通じるものがあるなあと思います。詳しくは知りませんが。
 この台詞の後の、「死が近いからかな」と淡々と言った弥鈴に弥鈴が好きな私でも少し失望しました。先程まで庇っていてくれたのは彼女なのに、どうしてこういう時は何もしてくれないんだろうか、と。
 彼女の行動を起こす基準が未だに見えない。

 10月編最高潮、小春の死亡シーン。
 スチルを見た瞬間に小春が死ぬことを確信しました。既視感。作中にも出てきましたが、あの家政婦さんの死に際とあまりに似すぎていたので、これは死ぬんだなと。そうやって分かっていても信じられませんでした。結局、今も信じていません。弥鈴みたいにいつか戻ってくるのだと、根拠もなしに信じています。
 最期、小春は二つの用途で力を使いました。
  1. 春待の元へ行くこと 
  2. 春待と、はるの二人の記憶上から「小春」を消去すること。
 ①は春待の言った、「他人にばかり優しくしないで、自分にも」というのに沿った行動なんだと思っています。
 しかし②は春待の希望に逆らってした、「無茶」だと思います。首輪を外した小春は、その時から春待の希望に逆らってでも春待を幸せにしよう、子どもを守ろうという堅い決意があったのでしょう。首輪を外したのは、その堅い決意の現れだと思います。また、小春の母が幸せに生きていけるよう着けた首輪なのですから、「破滅」の現れでもあったでしょう。

 「小春と春待の二人ならば弥鈴に勝てる」という算段はもうここで挫けてしまったんでしょうか。春待の能力だけでは、子どもどころか春待自身も守れないですし、弥鈴に勝つなんて夢のまた夢です。もしかすると、春待はあのびくびく怯えていた自分に戻ってしまう危険性さえあります。
 ここはもう、成り行きと子どもの受け継いだ能力に賭けるしかないと思います。
 正直、この『1人殺すのも2人殺すのも同じことだと思うから』という物語を終わらせられると私は思っていません。
 だからこそ、11月編とすべての始まりであり終わりである12月、12月編を楽しみにしたいと思っています。


 何だかんだでひとふたの感想を全て書き終わる前に、ひとふたが物語の終結に逢着してしまいそうなのでさっさと他の1月編や2月編の感想も書いてしまいたいなあ、なんて。
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